世界の主な人工湧昇実験・実証例

以下は、現時点で確認できる世界の主な人工湧昇実験・実証例の整理です。

結論から言うと、人工湧昇は世界各地で試みられていますが、大規模なCO₂除去効果まで実証された例はまだなく、実績が比較的明確なのは「漁場造成・養殖環境改善・一次生産増加・冷却・栄養塩供給」の範囲です。

米国科学アカデミー系の整理でも、人工湧昇の実海域試験は短期・限定的で、炭素隔離効果は未確認とされています。(NCBI)

1. 日本海 HOYO 実験、1989〜1990年頃

日本で行われた初期の外洋型人工湧昇実験です。米国科学アカデミーの整理では、Ouchi らの1989〜1990年の外洋試験として紹介され、水深約220 mから栄養塩に富む深層水を上げることには成功したが、上げた海水は密度が高く、すぐに有光層より下へ沈降したとされています。(NCBI)

意義
人工湧昇の「深い水を上げる」こと自体は可能でも、深層水が重すぎると表層に留まらず、植物プランクトン利用やSST冷却に直結しにくいことを示した重要例です。

2. TAKUMI/相模湾、日本、2003年〜

日本の代表的な人工湧昇装置です。相模湾に設置された Ocean Nutrient Enhancer「TAKUMI」は、2003年5月から運用され、水深200 mの深層水を1日約100,000 m³湧昇させたと報告されています。論文中では、実海域で人工湧昇と一次生産増加を実現した世界初級の成功例と位置づけられています。(大内海洋コンサルタント(Ouchi Ocean Consultant,Inc.))

ただし、米国科学アカデミーの整理では、この方式は200 mから20 m程度まで深層水を上げ、ピコ植物プランクトン・ナノ植物プランクトンの増加が観察された一方、炭素フラックスは測定されず、電力費・建設費・維持費が課題とされています。(NCBI)

ESCOT案との違い
TAKUMIは「深層栄養塩を有光層へ上げる」大型・電力依存型です。一方、ESCOTの波動式湧昇ポンプは、3〜6 m程度の浅層冷水を表層へ戻す小型・波力利用型なので、目的が「栄養塩による増産」よりも「SST冷却・養殖リスク低減」に近い点が大きく異なります。

3. Stommel型 Perpetual Salt Fountain/マリアナ海域、日本研究者、2000年代初頭

東北大学系の研究では、Stommel が提案した「永久塩泉」原理を使い、直径0.3 m、長さ280 mの軟質PVCパイプをマリアナ海域で使用し、数値解析と実測から上昇速度212 m/日相当を推定しています。(ResearchGate)

意義
外部エネルギーなしで、温度・塩分差による密度差を利用して深層水を上げる考え方です。ただし、実用化には長大パイプの耐久性、波浪、設置、維持管理が大きな課題です。

4. Lysefjord/ノルウェー、2004〜2005年

ノルウェー西部のフィヨルドで、養殖・貝類生産を念頭に行われた大規模な人工湧昇です。空気泡・揚水方式により、深層の栄養塩を上層へ供給し、約10 km²のプルームでクロロフィルa濃度が約3倍になったと整理されています。(NCBI)

別の文献要約では、40 m深に設置した拡散管へ空気を送り、深層水を上部17 mへ持ち上げ、非有毒藻類の増加が観察されたとされています。(ResearchGate)

意義
「養殖場周辺で、人工湧昇により餌料プランクトンを増やす」という実用目的にかなり近い例です。

5. ハワイ沖 Atmocean 波力ポンプ実験、2008年

ハワイ・オアフ島北方、Station ALOHA 周辺で行われた外洋波力ポンプ試験です。White らは、商用の波力ポンプ Atmocean を用い、外洋での設置・耐久性・深層水供給の実現性を確認しました。センサーは深く冷たい水が表層へ供給されたことを約17時間記録したが、その後ポンプ材料が破損したと整理されています。(American Meteorological Society Journals)

意義
波力ポンプによる外洋人工湧昇の代表例です。ただし、外洋では耐久性が最大の課題であることを示しました。

6. 大村湾・長崎県、日本、2011〜2012年

日本の閉鎖性内湾・養殖場で行われた実用的な人工湧昇試験です。長崎県大村湾のカキ養殖場で、海底からの曝気により人工湧昇を起こし、夏季に局所的な水温低下約1℃、栄養塩の再分配、珪藻増加などが報告されています。

ただし、貧酸素や高水温の形成を十分に上回る規模で実施できない場合、カキの状態改善には限界があるとも報告されています。

ESCOT案との関係
これはESCOTの研究に非常に近いです。目的が「外洋のCO₂除去」ではなく、養殖場の水温・DO・餌料環境の改善だからです。

7. Aoshan Bay/中国・山東省、2017年頃〜2020年実証

浙江大学チームによる中国初の人工湧昇実証事業です。山東省 Aoshan Bay で、空気揚水型人工湧昇、海洋エネルギー供給、環境・炭素シンク監視、大型藻類養殖を組み合わせた実証が行われました。浙江大学の発表では、30 ha超の事業区域を持ち、潮汐効果により少なくとも300 haの表層栄養塩濃度を高めると説明されています。また、20か月の安全運転中に台風3回と低気圧1回を経験したとされています。(浙江大学)

関連論文では、Aoshan Bay で人工湧昇システムを展開し、コンブ養殖の実験を行い、人工湧昇が海藻成長・栄養塩除去・沿岸ブルーカーボンに寄与し得るとされています。(MDPI)

意義
近年の中では最も実装色が強い人工湧昇プロジェクトです。太陽光・風力・空気揚水・藻類養殖・炭素シンクを組み合わせている点が特徴です。

8. KOSMOS/Gran Canaria、カナリア諸島、2018・2019年

GEOMAR などによる Ocean artUp プロジェクトの一環で、カナリア諸島 Gran Canaria 周辺の貧栄養海域で、メソコスム、つまり大型の海中実験容器を使って人工湧昇を模擬しました。2018年の実験では、9基の KOSMOS を Gando Bay に設置し、平均約44 m³規模の閉鎖水塊に深層水を加え、単回添加・反復添加・添加強度の違いを比較しました。(Frontiers)

結果として、高強度・反復添加では生産が高まる傾向が見られましたが、炭素固定・食物網移行・沈降・再無機化などの評価が重要であり、単純に「栄養塩を入れればCO₂除去になる」とは言えません。(Frontiers)

意義
生態系応答を細かく調べるには非常に優れた実験ですが、実海域で連続的に水を上げる装置実験ではなく、深層水を容器内に添加する模擬実験です。

9. カナリア諸島南方の波力ポンプ実海域試験、近年

GEOMAR は、カナリア諸島南方の大西洋で、波のエネルギーだけを使う波力駆動ポンプにより、水深200 mの栄養塩豊富な水を有光層へ上げる試験を行ったと説明しています。目的は、人工湧昇による海洋生物応答とCO₂吸収促進の可能性を調べることです。(GEOMAR)

意義
ハワイの Atmocean 実験と同じく、波力ポンプの実海域検証です。ただし、これも気候対策としての有効性が確定した段階ではなく、技術実証・生態影響評価の段階です。

10. ESCOT 波動式湧昇ポンプ/日本、2019年頃〜

この取り組みは、世界の人工湧昇研究の中ではかなり独自性があります。

多くの人工湧昇研究は「200 m級の深層水を上げて栄養塩供給・CO₂固定を狙う」ものですが、ESCOT案は3〜6 m程度の浅い冷水を表層へ上げ、SST上昇を抑えることを主目的にしています。

NPO ESCOT の説明でも、波の上下動だけで下層の低温水を汲み上げ、表層水温を下げる装置として説明されています。(ESCOT)

この方向性は、伊勢湾データで見えてきた「5 m前後は表層より冷たく、DOもまだ比較的保たれる」という解析結果と相性が良く、深層貧酸素水を上げない人工湧昇という点で、従来型と明確に差別化できます。


まとめ:世界の人工湧昇実験から見える重要ポイント

人工湧昇には大きく3系統あります。

第一は、外洋深層水型です。HOYO、TAKUMI、Atmocean、カナリア波力ポンプなどが該当します。栄養塩供給やCO₂吸収を狙いますが、深層水が重く沈む、装置が壊れる、コストが高い、炭素隔離が未確認という課題があります。(NCBI)

第二は、内湾・養殖場環境改善型です。ノルウェー、長崎県大村湾、中国 Aoshan Bay などが該当します。こちらは、養殖・藻類・水質改善と結びつきやすく、実用性が高い方向です。(ResearchGate)

第三は、メソコスム研究型です。Gran Canaria の KOSMOS 実験が代表例で、人工湧昇によるプランクトン・炭素循環・食物網影響を詳しく調べる研究です。(Frontiers)

ESCOTのGHRSST27向け主張としては、次の整理が最も強いと思います。

従来の人工湧昇は「深い栄養塩水を上げる」ことに重点が置かれてきた。しかし、深層水は低DO・高密度・コスト・生態影響の問題を伴う。伊勢湾の解析は、5 m前後の浅い冷水層でもSST冷却に十分寄与し、かつDOリスクを抑えられる可能性を示す。したがって、沿岸・養殖場・閉鎖性海域では、深層水型ではなく「Safe Cooling Depth」に基づく浅層人工湧昇が現実的である。

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