漁業から『漁海洋業』へ ― 気候変動時代、漁業者が『海を守る仕事』を第二の生業に
NPO法人エスコットからの提案
海水温の上昇、長期化する高水温、豪雨、台風など、気候変動に伴う環境変化が、漁業や養殖業の現場に大きな影響を及ぼす時代になっています。
これまで私たちは、こうした変化による漁獲量の減少や養殖被害に対し、「被害をどう減らすか」という視点から対策を考えることが多かったと思います。
しかし、気候変動が長期的に続くことを前提とするなら、もう一つの考え方が必要ではないでしょうか。
漁業者自身が、海洋環境を観測し、守り、改善し、管理する仕事を担う。
そして、その仕事を漁業経営の「第二の生業」として成立させる。
NPO法人エスコットは、この新しい仕事のあり方を、
「漁海洋業(ぎょかいようぎょう)」「Fisheries & Ocean Stewardship」
と呼ぶことを提案します。
1.「獲る・育てる」に「海を守る」を加える
従来の漁業には、大きく分けて、
魚介類を獲る漁業と、
魚介類を育てる養殖業
があります。
これに第三の役割として、
「海を観測し、守り、改善し、管理する仕事」
を加えるのが「漁海洋業」の基本的な考え方です。
つまり、
漁業 + 海洋環境管理 = 漁海洋業
です。
これは漁業者に別の産業への転職を求めるものではありません。
むしろ、漁業者がすでに持っている船舶、海上作業技術、海域に関する経験、安全管理能力、漁業者間のネットワーク、経験ノウハウなどを生かし、気候変動時代に必要となる新しい海洋環境サービスを仕事にしていこうという提案です。
2.なぜ今、「第二の生業」が必要なのか
海水温や海況の変化によって、従来と同じ場所、同じ季節、同じ方法で漁業を続けても、安定した漁獲や養殖生産を維持することが難しくなる可能性があります。
その深刻さを示す事例の一つが、近年の陸奥湾です。
令和7年度秋季の陸奥湾養殖ホタテガイ実態調査では、新貝のへい死率が93.3%、未分散稚貝が80.4%となり、いずれも昭和60年以降で最も高い値となりました。
調査では、今年の高水温期間が過去最長であったことが大量へい死と成長不良の要因として挙げられています。
もちろん、これは陸奥湾という特定海域の調査結果であり、すべての漁業地域にそのまま当てはめることはできません。
しかし、「海の環境が変わることによって、漁業経営そのものが大きな影響を受ける」という問題を具体的に示しています。
気候変動によって漁業収入が不安定になるのであれば、漁業者の所得を漁獲だけに依存させるのではなく、海洋環境を守る仕事そのものにも経済的価値を持たせる仕組みを考える必要があります。
3.海で仕事をすることは、誰にでもできることではない
海洋環境対策は、陸上、研究室の環境対策とは大きく異なります。
海は広大で、常に波や潮流があり、天候も急変します。
装置を設置するだけでも船が必要です。
さらに、設置場所の選定、運搬、係留、点検、補修、回収、安全管理など、実際に海上で事業を継続するためには多くの経験が必要になります。
その能力をすでに持っているのが漁業者です。
漁業者は、
船を持っている。
海上作業に慣れている。
波、潮、風、海底地形を知っている。
季節による海の変化を経験的に知っている。
異常な海況の変化に気づくことができる。
そして何より、日常的に海へ出ています。
したがって漁業者は、気候変動の「被害を受ける側」であるだけではありません。
地域の海洋環境を守る最前線の専門家(スペシャリスト)になり得る存在です。
4.「漁海洋業」では何を仕事にするのか
私たちが考える漁海洋業は、一つの装置や技術だけを意味するものではありません。
例えば、次のような仕事が考えられます。
海水温、溶存酸素(DO)、潮流などの海洋観測。
高水温や低酸素などの異常海況の監視。
海洋環境改善設備の製作。
設備・観測機器の船舶による運搬。
海上・海中への設置や係留。
定期点検。
清掃や付着生物の除去。
補修や部品交換。
台風等に備えた事前点検。
設備の撤去・回収。
海洋ごみや漂流物への対応。
藻場など沿岸生態系の保全。
大学や研究機関が行う海洋調査への協力。
そして、今後新たに開発されるさまざまな気候変動適応技術の実証や維持管理です。
つまり漁海洋業とは、
「海で行う気候変動適応・環境保全事業の地域実働部隊」
という役割でもあります。
5.波動式湧昇ポンプは、その一つの具体例
NPO法人エスコットが研究・実証を進めている「波動式湧昇ポンプ」も、漁海洋業の具体例の一つです。
波動式湧昇ポンプは、波による上下運動と逆止弁を利用して海水を循環させる、無電力型の海洋環境技術です。
エスコットでは、深い底層の水を無条件に上げるのではなく、水温だけでなく溶存酸素なども確認しながら、比較的低温で生物環境上も健全な水層を利用する考え方を研究しています。
また、単に「冷たい水を汲み上げる装置」と考えるのではなく、日中に表層へ蓄積した熱、鉛直方向の水温差、夜間の混合、溶存酸素などを含めて海洋環境への影響を検証していく必要があります。
そして重要なのは、装置そのものだけではありません。
仮に地域で導入するとすれば、
製作 → 運搬 → 敷設 → 点検 → 観測 → 清掃 → 補修 → 回収
という一連の仕事が発生します。
この仕事を地域の漁協・漁業者が担える仕組みをつくることができれば、海洋環境対策そのものが新しい地域産業になる可能性があります。
なお、波動式湧昇ポンプによる広域的な海面冷却や、酷暑、豪雨、台風等への影響については、現時点では実証された効果ではありません。
海面熱環境への介入が大気との熱・水蒸気交換などにどのような影響を及ぼすのかという「検証中の研究課題」として位置づける必要があります。
6.「海がどう変わったか」を評価する
漁海洋業を公共事業として育てる場合、特に重要になるのが成果の評価方法です。
「装置を何台設置したか」を成果にしてはいけません。
大切なのは、
「海が実際にどう変わったのか」
です。
例えば海洋環境改善技術であれば、設置前と設置後、実証海域と対照海域を比較し、水温、DO、流況、生態系などを継続的に観測する必要があります。
効果がなければ方法を変える。
環境への悪影響が確認されれば中止する。
改善すれば、その理由を解析する。
このような科学的な検証を前提にした公共事業であるべきだと考えます。
漁業者だけですべてを行う必要もありません。
漁業者・漁協が「海上での実働」を担当し、大学・研究機関が観測方法や評価を担当し、企業が技術開発や機材供給を担当し、行政が制度と財政面を支える。
それぞれの専門性を組み合わせます。
7.国・自治体に提案したい新しい仕組み
現在、気候変動による漁業被害に対しては、さまざまな支援や研究が行われています。
私たちは、そこからもう一歩進め、
「気候変動によって失われる漁業の仕事を、気候変動に対応する仕事へ転換する」
という政策が必要ではないかと考えます。
例えば国・県・市町村等が、
海洋環境モニタリング、
気候変動適応技術の実証、
海洋環境改善設備の設置・維持管理、
沿岸生態系保全、
海洋ごみ対策、
研究機関との共同観測、
海況異常時の調査
などを、地域の漁協・漁業者が参加できる事業として組み立てることが考えられます。
そうすれば、公共側にとっては地域の海を熟知した人材を確保でき、漁業者側には漁獲以外の収入機会が生まれます。
さらに、研究者にとっては長期間継続して現場観測できる体制が生まれます。
環境政策、水産政策、気候変動適応政策、科学技術政策、地域雇用政策を、海という現場で結びつける。
それが「漁海洋業」の目指す方向です。
8.まず、小さな海域から始めたい
この構想を最初から全国規模で実施しようとは考えていません。
海は地域によって全く違います。
水深、水温、DO、波高、潮流、生態系、漁業形態、使用できる船舶、作業できる季節も異なります。
したがって、まず一つの地域で、
観測 → 小規模実証 → 評価 → 改善
を繰り返す必要があります。
エスコットでは千葉県御宿町・岩和田漁港などで、波動式湧昇ポンプの耐久試験、水温計測等の実証を進めてきました。
まず御宿・岩和田を一つの候補として、漁業者が主体となった海洋環境管理の小規模実証について関係者と検討したいと考えています。
同時に、高水温による深刻な影響が報告されている陸奥湾をはじめ、異なる条件の海域とも情報交換を進める価値があります。
9.「漁海洋業プロジェクトチーム」を立ち上げませんか
ここまで述べた「漁海洋業」は、現時点ではNPO法人エスコットからの構想・提案です。
制度ができているわけでもありません。
確立されたビジネスモデルがあるわけでもありません。
だからこそ、漁業者だけでも、研究者だけでも、行政だけでも決めず、現場から一緒につくる必要があります。
NPO法人エスコットは、この構想に関心を持つ、
漁協・漁業者、自治体、国の関係機関、大学・研究機関、海洋・水産関係企業、環境技術企業、造船・海洋設備関係者、報道機関、その他関係団体
の皆様に、
「漁海洋業プロジェクトチーム(仮称)」
への参加・情報交換を呼び掛けたいと考えています。
最初から大きな組織をつくることが目的ではありません。
まず、
「漁業者には実際にどのような仕事ができるのか」
「どの作業なら収入につながるのか」
「既存の制度で何ができるのか」
「どのような気候適応技術が現場で本当に使えるのか」
「安全管理や責任分担をどうするのか」
「行政はどのような形で発注・支援できるのか」
「科学的な効果を誰が、どのように評価するのか」
を、現場の漁業者を中心に議論するところから始めたいと思います。
10.波動式湧昇ポンプだけを考えるプロジェクトではありません
ここは、私たちが特に大切にしたい点です。
エスコットは波動式湧昇ポンプの研究を進めています。
しかし「漁海洋業」は、波動式湧昇ポンプを普及させるためだけの構想ではありません。
海洋環境の変化に対して有効で、現場で使用でき、安全性が確認され、科学的な評価が可能なものであれば、国内外のさまざまな技術、装置、器具、資材、観測方法を検討対象にするべきだと考えています。
場合によっては装置を使わない方法が最も適切かもしれません。
重要なのは「何を売るか」ではなく、「海と漁業をどう守るか」
です。
そのため、プロジェクトチームでは既存技術だけでなく、新しい海洋環境技術、観測技術、気候変動適応技術についても広く情報を集め、現場での有効性を検討していきたいと考えています。
11.漁業者を「気候変動対策の担い手」に
日本は四方を海に囲まれています。
その広大な海を、行政や研究機関だけで継続的に観測し、管理していくことには限界があります。
一方、日本各地には長年その海と向き合ってきた漁業者がいます。
漁業者の船、経験、知識、技術を、魚を獲ることだけに限定する必要はありません。
魚を獲る。
魚介類を育てる。
海を観測する。
海を守る。
海洋環境を管理する。
それらを一つの地域産業として考える。
それが、私たちが提案する「漁海洋業」です。
気候変動によって失われる仕事を、
気候変動に対応する新しい仕事へ。
「獲る・育てる漁業」から、
「獲る・育てる・海を守る漁海洋業」へ。
NPO法人エスコットは、漁業者、漁協、研究者、行政、企業、報道機関など、この考え方に関心を持つ皆様とともに、まず小さな実証と議論から始めたいと考えています。
「漁海洋業プロジェクトチーム(仮称)」への参加・共同研究・実証・取材・情報提供を歓迎します。
海を仕事場としてきた人たちが、これからは海を守る仕事でも生計を立てられる社会へ。
その仕組みを、現場から一緒につくりませんか。
この提案に関心を持っていただいた皆様へ
「漁海洋業」は、まだ始まったばかりの構想です。
私たちは、この考え方をエスコットだけで完成させるのではなく、漁業者・漁協、行政、研究機関、企業、報道関係者、そして海洋環境や気候変動対策に関心を持つ皆様と一緒に育てていきたいと考えています。
「自分たちの海でも考えてみたい」
「こんな技術や方法がある」
「実証に参加してみたい」
「研究・事業として連携できるかもしれない」
「まず話を聞いてみたい」
どのような段階でも構いません。
ご意見、情報提供、共同研究、実証、取材、プロジェクトへの参加など、皆様からのご連絡をお待ちしています。
海を仕事場としてきた人たちが、海を守ることでも生計を立てられる社会へ。
「漁海洋業」を、現場から一緒につくっていきませんか。
NPO法人エスコット
波動式湧昇ポンプ・海洋環境研究/気候変動適応技術/共同研究・実証
※本記事の「漁海洋業」はNPO法人エスコットが提案する構想段階の考え方です。個別技術による気象・海洋環境への効果については、実測確認済みの事項、データ解析結果、技術的推定、検証中の仮説を区別し、海域ごとの観測・実証を通じて評価していきます。

